少し書いておきたいことができました。
「Postmortem of the golden witch」……黄金の魔女の検死、ないし感想戦や反省会という意味になります。次回作「うみねこのなく頃に」の“礼”が出るなら、こんなタイトルかもしれません。
今回の内容は、EP8のプレイメモを書き終わってから、なんとなく全体を振り返りつつ、作品世界の構造や戦人が果たした役割について考えていた時に思いついたことです。……大したことは書いてないっす。
出題編と展開編の違い
「出題編」と「展開編」……「うみねこ」は「ひぐらし」と同じく8編(“礼”除く)の構成ですが、「ひぐらし」の後半4編が「解答編」(だったかな?)なのに対し、「うみねこ」では「展開編」ということになってます。なぜ“解答”ではなく“展開”なのか。単に解答を明確にしないという意味なのか。それとも他に意味があるのか。
改めてこのことについて考えていて、
「出題編」と「展開編」では戦人が果たしている役割が逆転していることを思い出しました。物語の主人公だったはずの戦人がベアトリーチェ側に周り、ニンゲンの敵になっている状態です。
EP5-6間の戦人の変化
「出題編」と「展開編」はEP4?5間なんですけど、まず分かりやすいEP5?6間の話から。
EP5?6間で戦人がゲームマスター側に進んでついた理由は、EP8まで来てみると察しが付きます。戦人はEP5の終盤、EP1?4を振り返って“あること”に気付いたんでしょう。それは、
留弗夫一家が犯人らしい役割に設定されていないということです。
EP1は夏妃や絵羽、あるいは使用人。EP2は楼座や使用人。EP3は絵羽と使用人。EP4は金蔵やベアトリーチェ(あるいはそれに扮した何者か)が怪しく見えるように描かれていると思います。EP5では夏妃ですかね。大体の雰囲気ですけど。
……そこで、
なぜ留弗夫や霧江が外されているのかを戦人が考えれば、「これまでのゲームは実際の事件を隠すために存在する」という可能性に辿りついても不思議ではありません。EP7やEP8で示唆されているものと、戦人がやってること……事件の詳細を猫箱に隠そうとする行動を考えれば、恐らくそういう意味なんでしょう。
自分がベアトリーチェによって
害されるどころかむしろ守られていたことに気付いたからこそ、今度は自分がベアトリーチェを守ろうとするわけです。そして、EP8では縁寿に対して、戦人自身がベアトリーチェにしてもらったことをやろうとする。ちょっと形は違うかもしれないけど。
(参考)
【うみねこのなく頃にEP4プレイメモ:10補足】[ネタバレ] 六軒島子宮仮説 - 雛見沢研究メモ(仮)EP4?5間の戦人の変化
しかし、やはりよく分からないのは
EP4?5間の戦人の変化です。急にベアトリーチェを擁護する側に回ってるので、今ひとつ心情を理解できません。しかしここで戦人の心情以上に、ストーリー上の必然性が優先されたのではないかと考えてみると、一つ思い至るポイントがあります。それが
「出題編」から「展開編」への移行です。
以前私はEP2?3間の戦人の変化を著者や主題の変化で説明しようとしたことがありますが、同じようなことをEP4?5間でも適用してやろうという話です。つまり、「メッセージボトル」と「偽書」の間で戦人の人格が変化するように、「出題編」と「展開編」の間でも変化せざるをえなかったのではないかということ。
……物語の中心である主人公の役割の変化は、
物語の目的の変化を意味していると考えることもできます。なら、その「出題編」と「展開編」の目的というのは何なのか。そのあたりを考えていきます。
(参考)
【うみねこ】 「偽書作者縁寿説?」…キャラクター同一性崩壊の理由 - 雛見沢研究メモ(仮)プレイヤーの敵に回った戦人
「出題編」と「展開編」の違いを戦人の役割で考えてみると……ベアトリーチェを攻撃するのが「出題編」で、ベアトリーチェを守るのが「展開編」だと言えます。かなりはっきり分かれています。ベアトリーチェは六軒島の猫箱そのものと言ってもいい存在なので、
戦人は猫箱を開ける側から閉じる(守る)側に回ったと言ってもいいでしょう。
戦人が何から猫箱を守っているのか。それはヱリカでありベルンカステルであり縁寿であり、あるいは未来のウィッチハンターやマスコミであり、そして我々プレイヤーでもあります。戦人を主人公として……あくまで物語の中心として見るなら、
「展開編」は猫箱を守るのが目的の物語であり、EP8の結末は必然と言えるでしょう。
またこれは、
猫箱の開封を求めるプレイヤー側にとって、戦人=物語の主人公が敵に回ったということでもあります。そうなんですよ。EP1?4ではベアトリーチェをやっつける側……プレイヤー側だった戦人が、EP5以降は敵に回ってるんです。
「出題編=例題編」と「展開編=本題編」
戦人が敵に回る。……これが何を意味しているのかと頭を捻って出てきたのは、
「出題編」が実は「例題編」であり「展開編」が実は「本題編」であるという捉え方でした。
戦人とベアトリーチェの戦いを眺めながら、プレイヤーが魔女との戦い方を覚えるのが「出題編=例題編」です。そしてその戦人=主人公が……いや
物語そのものがその造物主ごと全部敵に回って、プレイヤーと実際に戦おうとしているのが「展開編=本題編」というわけ。
実際はまだヱリカやベルンカステル等が色々ヒントをくれるんですけど、作中では犯人に対して探偵の役割が貶められ、戦人側の敵はなんだかんだと罵倒されます。これも
作品が丸ごとプレイヤーの敵に回っているというサインなのではないかと感じられます。……戦人がEP5でいきなりベアトにべったりになってるのも、そのサインの一つということです。
EP1?2のベアトリーチェが自分の対戦相手である戦人に対して数々の暴言を放ったように、EP5以降は作品全体がプレイヤーに対してそうしているという構図になります。今回EP8の感想で書いた
「罵り合い」というのはそういう意味です。作中でベアトと戦人がやってたことの再現です。
ベアトリーチェ化する「うみねこのなく頃に」
これはいわば、
作品全体が……あるいは造物主そのものが、ベアトリーチェの……“邪悪な魔女”の役割を果たしているということです。つまりものすごくブッチャケると、「うみねこのなく頃に」という作品は、
プレイヤーに憎まれ疎まれるのが当たり前ってことです。全肯定してくるような相手を突き放すことに腐心しているとも言えます。
もう少し分かりやすく言うと……
「うみねこのなく頃に」という作品自体がベアトリーチェ化してプレイヤーにケンカを売ってるのが「展開編=本題編」ってことです。……そのやり方の是非や巧拙、実際に方向性をコントロールできているかどうかは
全く別の問題ですが、元々の狙いはそこにあるのだろうと私は考えます。
整理するとこういうことっすね。
【EP1?4:出題編=例題編】
「ベアトリーチェvs戦人」戦を観てプレイヤーが学習。例題。練習問題。
↓
【EP5?8:展開編=本題編】
戦人と「うみねこ」という作品が丸ごとプレイヤーの敵に回る。本題。本番。
「うみねこ」という作品自体がベアトリーチェ化したとも言える。
え? 分かりにくい? ……あきらめてください。
ベアトリーチェの目の前に座っていた戦人の席に、我々プレイヤーが座らされている。
そうだとしたらですよ。結局それを迎え撃つってことは、
「うみねこ」を作品ごとぶった切るってことだと思うんですよねぇ。もちろん自分が許せるようなルールの範囲内でね。
……で、私がそれを実行すると今回のプレイメモみたいになっちゃうわけですけど……いや、そんなこととは無関係に、最初からぶった切る気満々でしたっけ、そういえば。例題も本題も関係ないっていう。ハハハハハ……読まれてる……?
“邪悪な魔女”化現象
EP1から邪悪な魔女を責め立てるニンゲンの話題は出てましたし、そもそもこのネタは「ひぐらし」の羽入関連の設定の延長でもあります。「ひぐらし」で発生した作者自身の
“邪悪な魔女”化現象を、「ひぐらし」では羽入を、「うみねこ」ではベアトリーチェを核に作品内に構造的に組み込んだ。そして、その現象を「うみねこ」では
少なくともある程度は狙って発生させたってところですかね。
叩かれるのではなく、叩かせる。
同時に戦いの席に座らせる。まんまと座らされたらもうゲームのうちなんですよねぇ……釣りには反応したらアウトっていうレベルで。ナンジャコリャ。……「ひぐらし」もそうでしたが、「うみねこ」でも作品周辺で発生する現象を見てるだけでも面白いっていう……どの程度偶然で、どの程度意図されてるのかなんてことは分からないにしても。
でもって、
正々堂々(?)戦った後は、みんなお友達である。EP8でやってましたね。まぁそう上手くはいかんでしょうが。
あれはですね……「ひぐらし」でいうところの
「罪を赦そう」ってやつの延長でしょう。「うみねこ」でも真里亞がやってました。なんつー話だ……ケンカ売って殴り合ってお友達て。
「感想戦」
この推測が正しければ、「展開編=本題編」が終わった以上、次の“礼”ではもうプレイヤーにケンカを売る必要がなくなるはずです。「出題編=例題編」はベアトリーチェvs戦人。「展開編=本題編」は「うみねこ」vsプレイヤー。……ならば、残りは
「感想戦」になるのが妥当でしょう。
つまり、
「Postmortem of the golden witch」ってわけ。
……「解答編」の役割も果たしてくれれば理想ですけど、そこはなんとも言えませんネ!
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