雛見沢研究メモ
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【うみねこ】 「偽書作者縁寿説?」…ベアトリーチェを穢す無限の物語 

 【うみねこ】 「偽書作者縁寿説?」…キャラクター同一性崩壊の理由の続き。

 1998年。世界的に有名になった六軒島の事件。それを元に生み出される無数の物語。
 その物語の中でベアトリーチェの存在は邪悪な魔女として穢され続けた。
 二次創作がベアトリーチェの心を殺し自分の死を望むように変えてしまった。

 あとベアトリーチェと初音ミクの話とか。割と存在としては似てるよねーみたいな。

自分の死を望む魔女ベアトリーチェ


早く私を殺してください
?
いっそ、
生まれたく
なかった
?
お願いです
どの結末で
私の物語に
私を殺して
(参考)赤文字その他(第四話) : うみねこのなく頃に まとめWiki
 おなじみEP4にて画像で表示される赤字です。ベアトリーチェは“赤字で”自分の死を望んでいる。赤字はその発話者の本心を表す。だからこれはベアトリーチェの嘘偽りのない言葉です。確かにベアトリーチェは殺されたがっている。
 なぜベアトリーチェはこんな風になってしまったのか。今回はそれを考えます。
(参考)【うみねこ】[EP4考察] ベアトリーチェに祝福を -「赤字」は人の本心を証明する- - 雛見沢研究メモ(仮)

善良な魔女ベアトリーチェの叶わない願い


人の世の罪を背負うのがベアトリーチェ。そこから解放されたと思ったとたん、また縁寿に背負わされる。抜け出せない無間地獄。
(参考)【うみねこ】 EP3の2周目完了 -人の世の罪・邪悪な魔女の役割etc.- - 雛見沢研究メモ(仮)
 ベアトリーチェは元々善良な魔女である……少なくともEP3ではそういう存在として描かれています。それは縁寿にとってのベアトリーチェがそうだからだというのが前回の内容。
(参考)【うみねこ】 「偽書作者縁寿説?」…キャラクター同一性崩壊の理由 - 雛見沢研究メモ(仮)

 しかし、ベアトリーチェは誰にとっても、どんな物語の中でも常に善良な魔女だというわけではありません。真里亞の日記の中でさえ、ベアトリーチェは邪悪な魔女に変わってしまった。
 ベアトリーチェは善良というより、無垢なんですね。ただの白紙。ベアトリーチェを描く人間の手によって何色にでも染まってしまう。そんなベアトリーチェがEP3で善良な魔女に目覚めた後には、自分が物語の中で果たしてきた「邪悪な魔女の役割」から逃れたいと思ったことでしょう。
 戦人に嫌われるから、無意味な残酷趣味をもうやめたい……それがEP3から読み取れるベアトリーチェの心情です。
 にも関わらず、それは叶いません。EP3の中で「真の無限の魔法」に目覚め、折角「邪悪な魔女の役割」から逃れたと思っても、最後には再び背負わされてしまう。この絶望感がEP4でベアトリーチェが死にたがっていた理由なのだと考えていました。今もそれは変わりません。結局はコレだと思います。

 「邪悪な魔女の役割」とは、「ひぐらし」の羽入が果たした役割とほぼ同じものです。人の世の罪を人間の代わりに背負わされ「邪悪な存在」として人に憎まれる役割です。例えば「うみねこ」だと、EP2で戦人がベアトリーチェにその役割を望んでいます。人間の誰かが悪いのではなく、魔女が悪いのだというアレです。

 これまでは、EP3でベアトリーチェがその役割から逃れられなかった理由を、最後にやってきた縁寿のせいだと考えていました。縁寿がベアトリーチェに邪悪な魔女であり続けることを望んだことが原因だと思ってたんです。ベアトリーチェは白紙であり、人の望みによって何者にでも姿を変える。誰かが邪悪な魔女であることを望めば、そうなってしまう。……“なぜか”は分からないけど。

 以前はうまく説明できなかったその“なぜか”の部分を、「偽書作者縁寿説」が説明します。
 理屈は簡単。縁寿が作者だから、縁寿が望めばベアトリーチェは変わってしまう。それだけです。……しかしこれでは話が合わない。偽書EP3の作者が縁寿で、彼女がベアトリーチェを救いたいと考えているなら、なぜ一度救われたベアトリーチェを再び邪悪な魔女に落とす必要があるのか。これはまた別に考えます。

 ベアトリーチェは誰かが望めばその通りに姿を変えてしまう。善良な魔女になれても、邪悪な魔女としての役割を求められればそうなってしまう。EP3でその役割を求めたのは縁寿だった。……しかし、ベアトリーチェに本当にそれを求めているのは縁寿ではありません。
 縁寿はむしろベアトリーチェを救う側だし、むやみに苦しめるのは本位ではないはず。ベアトリーチェを苦しめているものの核は、EP3のラストではない。
 じゃー何なのか。縁寿じゃなければ、誰がベアトリーチェに「邪悪な魔女の役割」を強い、苦しめているのか。
 

「邪悪な魔女の役割」を強いるもの


 誰がベアトリーチェに「邪悪な魔女の役割」を強いているのか。
 六軒島の事件の後、生き残った絵羽に世間やマスコミが求めたのが「邪悪な魔女の役割」そのものでした。彼らは絵羽を大犯罪者として囃し立て、一種の娯楽として消費した。もちろん絵羽=エヴァ・ベアトリーチェ。ベアトリーチェと呼ばれるものの構成要素です。
 あるいは、六軒島の事件やボトルメールを題材にした物語を作る二次創作者や、その謎を解こうとするウィッチハンターなる輩が相当数存在していることが触れられています。彼らがベアトリーチェに求めているのもまた「邪悪な魔女の役割」に他なりません。
 真里亞が描くような善良な魔女としてのベアトリーチェを求める者は、ごく限られていたでしょう。縁寿以外にはいなかったかもしれません。 
 このことが、EP4でベアトリーチェが死にたがっていた理由に繋がるんだと考えてます。

 EP1?3の間のループだけではない。無数の人間が生み出すイメージを受けて際限なく肥大化していくベアトリーチェ。縁寿がEP3?4で描いているのは、そんなベアトリーチェの姿だと思うんです。
 どういうことかもう少し詳しく説明します。

無限の物語の中に生きるベアトリーチェ


 まずは、ベアトリーチェというのはどういう存在なのか。私の考えるところを書きます。

 第一に「ベアトリーチェは複数の物語の融合体である」ということ。これは今までくどくどと説明してきたネタで、常連さんには耳タコでしょう。例えば、ベアトリーチェのキャラ設定に、熊沢が知る六軒島の伝承と魔女伝説が融合している……これはEP5でヱリカが指摘したことです。
 ベアトリーチェを構成している要素はそれだけではありません。真里亞の描くベアトリーチェも、金蔵が描くベアトリーチェも、子供たちや親たちのものも、ゴチャマゼにしてイビツに融合し、ベアトリーチェという一個の存在を無理矢理に成立させている。
(参考)
【うみねこ】 ある物語の系譜 -受け継がれ変わり行く物語の物語-
【うみねこ】 EP3の2周目 10月4日深夜まで -物語の融合による歪み・九羽鳥庵の少女etc.-

 第二に、「ベアトリーチェは物語の融合を一方的に強制される存在である」ということ。これは今まで説明してませんが、「物語の融合」の概念に含まれているものです。
 ベアトリーチェは単なる架空のキャラクターでしかない。誰かが変装していたとしても、ベアトリーチェという存在自体は架空のキャラクターです。だから誰が空想するキャラ設定だとしても、ベアトリーチェ自身がそれを拒むことはできません。
 真里亞や金蔵、縁寿が考えるキャラ設定もそうだし、マスコミや二次創作者達が考えるものでも同じです。
EP6縁寿:そして。……真相を知ったなら、誰もが無限の魔女になれるのかもしれない。
無限の魔女たちによる、無限の物語。
無限に弄ばれる、1986年10月4日からの二日間。
……終わらせなきゃ。この物語から真相の手掛かりを得て、……この無限の物語を、終わらせる。
 「無限に弄ばれる1986年10月4日からの二日間」の物語の中には、ベアトリーチェも登場するはず。はっきり言って、「真相を知っているかどうか」は関係ありません。作中のベアトリーチェは無差別に自分に関する物語を融合しているようにしか見えないからです。
 ベアトリーチェは無限の物語の中で、無限に弄ばれている。その全てのキャラ設定や物語が、自由にイビツに融合し、ベアトリーチェを形成する。……縁寿が生きているいる1998年の世界のベアトリーチェは、ボトルメールをオリジナルとする二次創作を含む無数の物語が融合した存在になっているはずです。そして縁寿はベアトリーチェのその状態を知っているはず。
 
 無数に存在する「無限の魔女」が、「無限の物語」を生み出し、その中でベアトリーチェは生きている。EP4に登場するベアトリーチェは、縁寿というフィルターを通して現れたその“肥大化したベアトリーチェ”だというのが私の考えです。
 もちろん一人の人間がベアトリーチェに関する物語を“全て”知ることはできないので、EP3からの偽書作者が縁寿だったとしても、そこに登場するベアトリーチェは縁寿が知る範囲の物語を融合したものに過ぎません。また、縁寿自身が恣意的に作成できるものなので、他人が作った二次創作設定に従う必要もありませんし、縁寿自身が持つベアトリーチェに関するイメージを融合することで、他のベアトリーチェとは違ったものになっているはずです。
 そして縁寿は、まるで無数のループを繰り返して疲弊した梨花のように、死を望むほどに擦り切れしてしまったベアトリーチェを描いた。
 
 真里亞が描くような善良な魔女としてのベアトリーチェは、無数の物語の中で望まない「邪悪な魔女の役割」を果たし続け、最後には戦人にも絶望してしまった。それがEP4のベアトリーチェ。 
 (赤字)お願いです。どの結末でも(いいから。)私の物語に(終止符を。)(そして)私を殺して
 こんな感じ。

蛇足1:ベアトリーチェと初音ミク…不幸な架空存在と幸福な架空存在


 こっから蛇足。
 いきなり話は変わりますけど、「初音ミク」ってご存知ですかね。ネット上で有名な架空のキャラクターです。知らない人はwikiでも見てください。(参考)初音ミク - Wikipedia
 初音ミクは2007年夏に発売された音声合成ソフトのキャラクター。ベアトリーチェは同じく2007年夏に発売された「うみねこのなく頃に」の登場人物です。作中作では大量殺人劇の主役。二つはまったく別の架空のキャラクターですが、その存在に関しては割と似てると言っていいでしょう。

 初音ミクに関しては、それを使った無数の歌や、その二次創作となる絵や同人誌なんかが溢れてます。中には暴力的なものや卑猥なものもあるかもしれませんけど、概ねはファンの手による好意的なものでしょう。
 一方のベアトリーチェは、六軒島の事件以降一部のコミュニティを通じて、あるいはネットが普及してからはネットを通じて、二次創作小説等が人の手で生み出されている……という設定です。ただし、それは初音ミクと違ってかなり負の側面が強いものだったはずです。何しろ殺人劇の主役ですからね。二次創作も概ねそういうテイストのものになるでしょう。

 まぁリアルに考えると、1998年じゃブロードバンドもまだ始まったばかりの頃でしょうから、初音ミクほどの盛り上がりはまずありえません。あとベアトリーチェが萌え化されて消費されるのも目に浮かぶ気がします。さらに言えば、六軒島の事件程度じゃ何年もせずに忘れられ、ごく少数のマニアぐらいしか興味を持たないと思います。「うみねこ」の作中でいわれるほど大したものにはならないんじゃないですかね。
 精々が、ネットでたまにネタにされる未解決事件と同列でしょう。
(参考)【閲覧注意】未解決事件って不気味すぎね:アルファルファモザイク

 さておき、こうして比べるとベアトリーチェと初音ミクは同じ架空の存在であっても対極にある気がします。ベアトリーチェは随分不幸な扱いだし、初音ミクは(多少の負の側面はあるにしても)随分と幸福な存在だと思えます。
 初音ミクに人格を持たせ、その心情を描写するような創作物もありますね。例えばこんなの。
ちょっと!なにするの!こんな卑猥な歌詞を歌わせないで
ちゃんと あなたの「言葉」と「想い」を伝えさせて
(参考)あなたの歌姫/初音ミク Complete ver.‐ニコニコ動画(9)
 まぁ随分とかわいらしいもんです。
 かたやベアトリーチェといえば、私を殺して!!ですよ。あんまりといえばあんまりな差ではあります。初音ミクを持ち出して何が言いたかったかというと、ベアトリーチェかわいそう!ってことだけです。比較対照として適当だったんです。

蛇足2:架空の存在との向き合い方


 ベアトリーチェと初音ミクを比べて、随分とベアトリーチェは不幸だなーという話をしたところで、続いて架空の存在との向き合い方の話。
 EP1の真里亞が台詞から。
EP1真里亞「?戦人たちは、誰が犯人ならいいの? 自分たちの中に犯人がいると信じたくない時だけベアトリーチェを信じて、……親しい人を殺された恨みを晴らしたい時だけ、暴力をぶつけられるニンゲンの犯人を信じたがってベアトリーチェを否定する。?」
 これはまぁ、架空の存在を都合よく利用する人間への批判だといえます。架空の存在だからって何してもいいの!?それってひどくない!?ってのが真里亞の言い分。最近流行りの「非実在青少年」にも通じる部分があります。

 架空のキャラなら何してもいーじゃんってのもその通りなんですけど、ベアトリーチェを大事に思っている真里亞からすれば、ベアトリーチェがグチャグチャに凌辱されつくしてたら悲しくなるのも仕方ないです。
 あるいは縁寿にとってベアトリーチェが弄ばれることは、真里亞の日記が須磨寺霞に踏み躙られるのと同じようなことかもしれない。よほどガマンがならないとしても、無理からぬことです。
 そりゃベアトリーチェも怒るし、悲しむし、やってらんねーよなーって感じです。

 EP1・2の時点で作者(署名は右代宮真里亞)はベアトリーチェのあり方を憂いている。
 そしてEP3・4の作者(今回は縁寿と想定。あるいは八城でもよい)も、それを未来の自分の立場から憂いている。
 まぁ私のように、ベアトリーチェなんてコンテンツがどう扱われようと大した問題でなく、面白ければ適当に消費してりゃいいという立場からすると、メンドクサイ奴らだな?ってことで終わっちゃいますけどね。
 

蛇足3:物語を終わらせたい者と、終わらせたくない者


……終わらせなきゃ。この物語から真相の手掛かりを得て、……この無限の物語を、終わらせる。
 縁寿は物語を終わらせようとする立場です。偽書作者が縁寿なら、ベアトリーチェは苦しんでいるから、もう殺してやりたいと考えていることでしょう。しかし同時に戦人や真里亞なんかも救いたいから、なかなかうまくいかない。
 なかなか物語が終わらないのは、これが理由だと思うんですよね。多分縁寿自身、何をどうすればいいかまだよくわかってない。戦人をEP1・2の世界から救い出すために、試行錯誤して遠回りをしているんじゃないかと。

 でも終わらせようとしているのは確かだと思うんですよ。EP3では戦人側にワルギリアをアドバイザーとしてつけ、魔法世界について親切に解説させたり。絵羽に碑文を解いたことにさせたり。またEP4ではベアトリーチェに「私はだぁれ」というクリティカルな謎を提示させたり。EP5では戦人が全ての謎を解いたことにしてます。
 縁寿が本当に全ての謎を解いているのかどうかは分かりませんけど、まぁそのように話を描いている。
 EP5?6では、綺麗な形ではないにせよ、ベアトリーチェを殺してもいますね。お望みどおりだぜ!……とはいかないか。

 一方で、物語を終わらせたくない奴もいるんですよね。
EP6八城「?そして、何人もの無限の魔女たちが、ベアトリーチェの猫箱の物語を増やして行く。……増えれば増えるほど、また新たに真実に至る者が現れる。……そうすることで、一番最初の無限の魔女、ベアトリーチェが、あれだけの枚数の手紙に物語を記してボトルに詰めて海に投じた労力が初めて、報われるのです」
 確かにボトルメール作者としてのベアトリーチェの目的は“物語を終わらせないこと”かもしれません。EP2のベアトリーチェは、紗音に“あなたなんて知らない”といわれてダメージを受けてました。
 また、八城の立場は、どちらかというとウィッチハンターのように六軒島の事件をコンテンツとして楽しんでる側でしょう。だから物語を長く楽しみたくて、簡単には終わって欲しくないんです。EP7ではベルンとフェザリーヌが一緒になって、何か悪趣味なゲーム盤を作ろうとしてるみたいですし?
 ……しかし縁寿は違う。縁寿が描くベアトリーチェも違う。縁寿は物語を終わらせたいと考えているし、ベアトリーチェは死にたいと思ってる。誰かに語り続けて欲しいなんて考えてません。

 どっちがいいのか……という問いにはあまり意味がないと思います。偽書作者が縁寿なら、最終的に偽書の中では縁寿の思惑が叶うかもしれません。しかし「死にたがっているベアトリーチェ」というのも縁寿の解釈でしかない。
 また同時に、八城がいう「生き続けたがっている=物語を増やして欲しいベアトリーチェ」も彼女の解釈でしかありません。なのでまぁ、現時点ではここに関してはなんとも言えませんね。

 ただ、真里亞の立場で考えると、ベアトリーチェに生き続けて欲しいと思うだろうという気はします。しかも現状のような不幸なキャラとして弄ばれるのではなく、まぁせめて初音ミクぐらいには幸福なキャラとして。
 キャラクター自身が何を考えているかなんて分からないし、そもそも何を言ったところで、創作者の独りよがりでしかないんですけどね。キャラクターが不幸に見えようが幸福に見えようが、所詮は見る側の問題で、相手は二次元キャラなのだし。一部に三次元もくっついてるけど。

 まとめ。
 EP3?4全体としては「二次創作批判」といっていい内容だと思います。人が大事にしてるキャラクターでやりたい放題に無茶苦茶しやがって、キャラに心があったら死にたがるんじゃないの? 自重しろよバカ野郎!!って感じかと。
 ……ふ?ん、としかいいようがありません。元葉鍵型月二次創作者がなにをいいだしたんだろうという戸惑いがあります。……単に他人への思いやりが大事だよね?って意味だととってもいいですね。

 あーそうそう。この「偽書作者縁寿説」ですけど、まだ続きがあります。
 EP3以降から読み取れる真相らしきものは、あくまで縁寿が考える真相でしかないとか、そのへんかな。
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