おそらくこれもまた一つの真相。
ニンゲンは邪悪な魔女に罪を押し付ける。
しかし大事なのは、その罪を認め、赦すこと。それもまた「愛」と言える。
EP1の戦人にはそれができず、真里亞にはできた。
そしてEP5まできて戦人もこれを理解し、ベアトリーチェを赦した。
*追記:留弗夫の罪を赦さなかった戦人
戦人の心の弱さが「邪悪な魔女」を求める
戦人「今なら信じるぜ」
戦人「手紙も殺人も全て、ベアトリーチェの仕業だ。?19人目の仕業ってことにさせてくれ。じゃなきゃ、俺たち18人はいつまでも互いを疑い合わなくちゃならねぇ?」
戦人は、互いを疑い会う疑心暗鬼の状態から逃れるためにベアトリーチェという存在を求めています。
人の世の罪を背負わされる
「邪悪な魔女の役割」についての話は以前しました。戦人もまた「邪悪な魔女」としてのベアトリーチェを求め、ニンゲンたちの罪を押し付けたがっている。
(参考:
【うみねこ】 EP3の2周目完了 -人の世の罪・邪悪な魔女の役割etc.- - 雛見沢研究メモ(仮))
魔女に罪を押し付けるのは、よくないこと
この戦人のように幻想=魔女に罪を押し付けるのは、よくない事だとされてるようです。それは、EP1の後の方で出てくる真里亞の言葉から分かります。
真里亞「真里亞にはわかんないよ。戦人たちは、誰が犯人ならいいの? 自分たちの中に犯人がいると信じたくない時だけベアトリーチェを信じて、親しい人を殺された恨みを晴らしたい時だけ、暴力をぶつけられるニンゲンの犯人を信じたがってベアトリーチェを否定する。…………だから、視えないんだよ。……ベアトリーチェは“い”る。お前たちには視えない!」
都合よく「ベアトリーチェ」を生み出し、あるいは利用しようとするニンゲンの態度を、真里亞は糾弾してます。
またベアトリーチェを視るための条件ってことは「愛」ってことなわけで、
真里亞が言ってることが分かれば「愛」ってのがなんなのかも必然的に分かるということに。
譲治に真実を話しても信じないだろうということ
EP1の真里亞は譲治に対しても割ときついことを言ってますね。
真里亞「譲治お兄ちゃんは、やるせない気持ちを暴力に変えて誰かにぶつけたいと思っている。だから、殴れる相手がニンゲンじゃなきゃ収まりが付かない。だから、そんな譲治お兄ちゃんには真実を話しても、受け容れられない。だから、言っても無駄。信じない」
これは結構大きいです。相手が
譲治だってことが。
真里亞がもし
紗音=嘉音=ベアトリーチェで、彼女が犯人だってことを知ってれば、これを譲治に話すことも可能です。でも多分、
譲治は信じないでしょう。だって相手が
紗音ですからねぇ。
昨晩プロポーズしたばかりの相手が、嘉音やベアトリーチェに変装していたり、第一の晩からの犯行に関わってたりしてると
真里亞の口からいわれても、はいそうですかと信じるわけないですね。
譲治にそれを信じさせようとしたら、せめて証拠をそろえて提示する必要がある。それでもその真実を受け入れるかどうかは分からない。
「邪悪な魔女の役割」から抜け出せない苦しみ
EP3では戦人がベアトリーチェを認め、そして「善き魔女」として目覚めたはずでした。しかしここに縁寿が乱入して再びベアトリーチェを「邪悪な魔女」に貶めたことで、再びベアトリーチェはその役割を取り戻してしまった……というのが私の解釈でした。
このベアトリーチェの苦しみは、EP4の赤字からも伺うことができます。
「早く私を殺してください」「いっそ、生まれたく、なかった」とか。
ベアトリーチェは苦しいんですよ。罪を背負わされて。それを真里亞も分かってて、もうやめてくれと言ってるのかな。たぶん。
(参考:
【うみねこ】 EP3の2周目完了 -人の世の罪・邪悪な魔女の役割etc.- - 雛見沢研究メモ(仮))
人を疑わなくていい楽園
EP1で書斎に篭って、真里亞たちを追い出した後。
疑わしきを全て追放した。その中に潔白な人間がいるかもしれないことを知りながら、追放した。
互いを疑い合わなくてよい楽園から、彼らを追放した。
しかし、彼らの追放の動機は人が人を疑うという、人として最低の罪によるもの。
誰も疑わなくていいなら確かに「楽園」です。誰かを疑うというストレスから解放されるからです。
でも「ひぐらし」では、それは非現実的だとされてます。
【ひぐらし祭囃し編より】
人が生きる以上、垢が沸くように罪も湧く。
大切なのは罪を沸かせないことじゃない。罪を赦すことなのだ。
罪に対して潔癖であろうとするから、より世界は醜く歪むのだ。
奇麗事をいったところで、現実には誰かを疑わなきゃいけない。
「罪に対して潔癖」であろうとしてるのは、EP1の戦人です。身内の罪を認めたくない。身内を「潔癖」だと信じたい。そして、その気持ちが、ベアトリーチェに対して罪を押し付ける方向に働いてます。
罪がある限り、疑うのは仕方のないことです。でも、その後に赦すのが大事だということですかね。
同じく祭囃し編から。
罪を、受け入れよう。そして、みんなで赦そう。
それが、古手梨花が見つけて至った、完成された世界……
それは、1人を敗者にしなくてはならない、人の世の罪からの解放。
梨花が解放した「1人」は、羽入でもあり鷹野でもある。「うみねこ」で解放されるべきは、ベアトリーチェだったり、EP3の絵羽だったりするんでしょう。
梨花が到達するのに100年かかった場所に、真里亞は最初から立ってるんですよね。真里亞はこのあたりのことを理解してる。
「罪を赦す力」を持つ真里亞
EP1で夏妃が書斎から真里亞を追い出す時の台詞。
夏妃「?真里亞ちゃんも。…冷たい伯母さんを、どうか許して」
真里亞「うー。真里亞は許す。うー!」
真里亞は赦しました。ちょっとゾクっときましたねココ。なるほどねーと。
「真実に堪える力」を持ってるのはヱリカですが、でも本当に大事なのは
「罪を赦す力」なんだということなんでしょうかね。真里亞には「真実に堪える力」がないから「薔薇の真実」は視えないが、
目に見えている罪を赦すことはできる。 ヱリカはベルンやラムダに対しても「真実に堪える力」がないと切り捨ててましたし、魔女だというだけでは駄目なんでしょう。
(参考:
【うみねこ】 EP1の3周目:1日目? 愛を知らない真里亞に薔薇の真実は視えない - 雛見沢研究メモ(仮))
じゃぁEP1の戦人はどうすりゃいいのかといえば……
まず身内が罪を犯した可能性は認めるべき。そのうえで、それを赦すのが大事。それが「罪を赦す力」で「愛」だということに多分なってるんですね。罪をベアトリーチェのせいにして、身内を疑いから外してもしょうがねーよという感じですか。
その上で「真実に堪える力」をもって、事件を客観的・多角的に分析することで「真実」なり「真相」が見えてくるよと。
ヱリカは「真実に堪える力」はあっても「罪を赦す力」がなかった。だから浮気相手の罪を赦せずに、ただずっと苦しむことしかできなかった。そしてまた
誰かの罪を暴きたて、苦しめることしかできない。これじゃ駄目だよってことね。
浮気しちゃったかもしれないけど、ヱリカを愛していたこともまた否定できないのだから、まず浮気の罪自体を赦すことから始めましょうと。その上で別れるなりなんなりケジメをつければいいわけだ。
縁寿も頑張ってますけど、まだここまでは行ってないですね。到達したとして、赦すのはいいけど、それでどうすんだろうね。
まとめましょうか。
◆真里亞=真実に堪える力×、罪を赦す力○
◆ヱリカ=真実に堪える力○、罪を赦す力×
◆EP1戦人=両方×
◆EP6戦人=両方○
◆縁寿=???
罪を赦す七杭
EP1のお茶会でベアトリーチェが客室に向かって七杭を放つシーン。
ベアト「さぁさ、お出でなさい、罪を赦しなさい、煉獄の七杭が一つ、色欲!!!」
ここでベアトが使う言葉の「罪を赦しなさい」ってのが、今回のテーマにぴったり対応してます。 七杭は罪を赦すもの。となれば、碑文自体も罪への赦しがテーマだと言えます。
いやそれだけじゃないですね。お茶会のタイトルは「プルガトリオ(煉獄)」です。
七杭は「煉獄の七杭」です。ワルギリアは「神曲」でダンテを天国の入り口まで導き、ベアトリーチェはその役割を引き継ぐもの。
罪の存在を前提として、ストーリー全体がその罪を赦すという方向で動いてるみたいです。ボトルメールのメッセージとして
罪といえばEP4で言及された「戦人の罪」があります。
EP6によれば、どうやら紗音を六軒島に放置したのが罪だということになってるみたいですけど、多分それだけじゃないですね。んで、なんだか知らないけどそれも含めて「赦す」というのがボトルメールのメッセージの一つになってるんじゃないですかね?
あと、
筆者自身の罪への赦しを求めている部分があるかもしれません。誰かの罪を赦し、自分もまた赦されたいって感じですか。
「六軒島の屋敷ごとブッ飛ばすけど赦してネ♪」だったらあまりにも
クズすぎますので、違うと思いたい。
そして戦人は赦した
EP5の終盤で戦人が「真相」に到達してますけど、この時にこのあたりのことに気付いたんだと思います。
だから戦人はベアトリーチェの罪を赦した。同じように、EP6で殺人を犯したヱリカの罪も赦すでしょう。それが多分「愛」なんですねぇ。なんのこっちゃ。
ベアトリーチェを憎まなくなってるのも、「愛=真相」を知ったからってわけ。
EP6ではベアトリーチェの立場=ゲームマスターも経験して、その苦しみも理解したはず。
縁寿が散々首をかしげた、戦人のベアトリーチェに対する態度を激変させた理由の一つが多分コレ。でも全部ではなさげ。
これで一応EP5と6の間の戦人の変化は説明できるんですが……EP3?4間やEP4?5間の変化は説明できません。まぁなんかあるのかもしれないし、なんもないのかもしれないし。よくわからんですね。
あと「罪を赦すのが大事だ」とか色々書いてきましたけど、そういうテーマらしいということは理解できても、だからなんなんだってことになると、よくわかりません。……だからなんなんだろね。
追記:留弗夫の罪を赦さなかった戦人
戦人が6年間六軒島に戻らなかったのが、今回の事件の一因になってるかもしれない。
明日夢が死に、その後すぐ留弗夫が再婚したことを戦人が赦さず、母方の祖父母の家に身を寄せた。
戦人は、留弗夫の罪を赦さなかった。 何が悪かったか。どうすべきだったかといえば……
まぁまずは留弗夫側の話を聞くことでしょうね。「真実に堪える力」があるなら、ちゃんと話も聞けるでしょう。
その上で留弗夫から離れると判断するなら、それはそれでしょうがないんじゃないですかね。
あとは、右代宮家そのものと縁を切るべきじゃなかったってことですか。
留弗夫を赦さないのはしょうがないとしても、だからといって金蔵やいとこ達と縁を切るのは筋が違うだろうと。
罪を赦し、ベアトリーチェを赦し、邪悪な魔女がその役割と意味を失った時……「邪悪な魔女」としてのベアトリーチェは死ぬんでしょう。これでベアトリーチェのカケラがまた一つ消える。
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