また、アニメ見つつ考えたことを。
EP4で紗音は自分が黄金郷に行ったことがあるという話をするシーンがあります。
すっかり忘れてたこのシーンなんですけど、結構大事なところかもしれないなーとか。
紗音が行った黄金郷について
(EP4)
紗音「?黄金郷は、……素晴らしいところだよ」
嘉音「行ったことあるの?」
紗音「ちょっぴりだけね。それすらも、ベアトリーチェさまの戯れだったのだろうけど」
アニメではあんまり詳しく語られませんが、この辺からズラっと黄金郷についての説明が出てきます。
大体まとめるとこんな感じ。
・黄金郷実在
・ベアトリーチェが連れて行ってくれた
・安らかな夢の中のような世界
・元の世界に戻ると黄金郷のことはうまく思い出せない
・何でも願いが叶うのでなく、何も願わなくていい場所
・意思ある存在の平等。ニンゲンも家具も魔女も関係ない
・ベアトリーチェとさえ対等な友人でいられた
・「幸せ」が抜けている。全ての悩みから解放されたゼロの世界
・紗音はそこに譲治と二人で行きたい
基本的にはEP4で登場した「真里亞の黄金郷」と同じような雰囲気ですが、必ずしも全て一致しているというわけではない感じ。
あと、EP3のラストに登場して戦人がサインしかけた全員集合状態の黄金郷とは別物だといえます。そっちよりは「真里亞の黄金郷」の方が近いでしょう。
嘉音「薔薇が咲き乱れてて、美しい蝶が舞ってるような、極楽みたいな感じ?」
紗音「そういう具体的なイメージのところじゃないの。?」
この辺が「真里亞の黄金郷」との違いです。
真里亞の方は思いっきり薔薇庭園のイメージ。EP5では廃人状態のベアトとワルギリアがここの東屋にずっと滞在してました。
真里亞「?ベアトはこの世界で、真里亞と永遠に二人きりで過ごすの。?ここでは全ての願いが叶う。全てがある。」
(縁寿)?黄金郷は、真里亞お姉ちゃんとベアトリーチェの二人の想いの結晶だけで作られている。
これは別のシーン。真里亞にとっての黄金郷は「全ての願いが叶う」場所なんです。紗音は「ゼロ」だって言ってます。このあたりも違いですね。
しかし、「全てがある」世界で延々と全ての願いを叶え続ければ、全ての願いが満たされて「ゼロ」になるとは言えるかもしれません。
「黄金郷」のイメージが違う理由
なぜ同じ「黄金郷」であるにも関わらず、真里亞と紗音では違いが認められるのか。
またそもそも「黄金郷」の出所はどこでどうやって生まれたもので、一体何なのかとかそのあたり。
まず必要なのは以前書いた
【うみねこ】 EP3の2周目 10月4日深夜まで -物語の融合による歪み・九羽鳥庵の少女etc.- - 雛見沢研究メモ(仮)での
「物語の融合による歪み」という概念です。
例えば「ベアトリーチェの居場所」について「九羽鳥庵」と「隠し部屋(黄金がある)」の二種類の
「物語」があり、その両方が存在することで、結局ベアトリーチェがどこにいたのかは曖昧になってしまう。簡単に言えば
「物語の設定がユルくて混乱している状態」です。
この「物語の融合による歪み」は「ベアトリーチェ」自体についても見出せます。そしてこの「黄金郷」にも見出せる。多分そういうことなんじゃないかなというのが、今のところの私の解釈です。
つまり
「黄金郷」に関する複数の異なる解釈(この場合は真里亞と紗音)が同時に存在しているから像がブレてしまい、分かりにくくなっているということ。
同じものについて諸説あって定まらないのに、複数の説・解釈が一つの物語の中に無理矢理まとめられてしまったらこうなるという話。
なぜこんなことが起こるのか。このことは以前
【うみねこ】 ある物語の系譜 -受け継がれ変わり行く物語の物語- - 雛見沢研究メモ(仮)で書いた
「物語の系譜」の問題として考えることができます。
例えば、真里亞は「人物A」から黄金郷の話を聞き、紗音は「人物B」から話を聞いた。人物AとBの話の内容が違うために、二人の「黄金郷」は違う姿をしている。あるいは「人物A」が真里亞と紗音に同じ内容を話したが、二人の解釈が違っていたために「黄金郷」は違う姿を見せた。
このどちらかかもしれないし、あるいは両方かもしれません。
「黄金郷」の物語の系譜
真里亞と紗音の「黄金郷」のイメージに共通しているのは、
「ベアトリーチェ」というキーワードです。
二人とも各EPでベアトリーチェと一緒にいるシーンが描かれてますが、
二人にとってのベアトリーチェという存在が同一の存在であるかどうかは別問題です。
これも以前
【うみねこ】[EP4考察] 「キャラクターの同一性」の問題 -分裂してぼやけていく彼らの姿- - 雛見沢研究メモ(仮)で書いたことですが、
「うみねこ」のキャラクターはものすごく分裂しまくるんです。他の物語でここまで同じキャラクターが分裂するケースは見たことないぐらいです。
例えばEP4であれば「真里亞」という存在が分裂してます。ゲーム盤世界の真里亞、縁寿の脳内(もしくは日記の)真里亞、メタ視世界の真里亞など。
一つ考えて欲しいのは……仮に、「EP4で戦人のいるメタ視世界にやってきた縁寿が日記を開いて呼び出した真里亞」と「EP4で楼座を殺しまくった真里亞」が遭遇したらどうなるのか。……答えは恐らく、「そもそも遭遇できない」です。
それは縁寿がEP4の船の上で再召喚した「さくたろ」が真里亞と共有できないというのと同じこと。つまり個人の内面の存在でしかないものを、他人と直接“脳”を接続して共有するような真似はできないってことです。EP5ではこの辺りの問題について「同意」があれば共有できることになってますね。
ちょっと脱線しましたが、要するに真里亞と紗音の二人にとっての「黄金郷」が違うのと同じぐらいに、二人にとっての「ベアトリーチェ」もまた違う存在かもしれないってことですね。二人の話から「ベアトリーチェ」の正体が何者かは分からないということです。あるいはその逆に、「ベアトリーチェ」という存在が個人によって違うように、「黄金郷」もまた違う。
結局「黄金郷」に関する物語の系譜は分からないです。
想像することはできますけどね。例えば二人とも熊沢から話を聞いただけだったりとか。あるいは真里亞が紗音に話したのかもしれないし、逆かもしれない。
一応「黄金郷」の分類をまとめておくとこんな感じですかね。
・碑文の中の黄金郷
・EP3のラストに登場する全員集合状態の異界
・EP2ラストで金蔵が行くはずの黄金郷
・真里亞の黄金郷(EP4・5に登場)
・紗音の黄金郷
どれもが「黄金郷」という名前なんですが、必ずしも同じものではない。
素朴な信仰…黄金郷の物語に関する推測
「何だか宗教っぽい世界だな」というのが、紗音の黄金郷に関する説明を聞いた嘉音の感想。
その通りで、いわゆる民間信仰とかあるいはそれ以前の個人的な信仰の類だといえます。ごく素朴な信仰です。
「うみねこ」でいえば森には魔女が出るから入っちゃいけないってのと一緒。ただしこっちはタブーに関するもの。「黄金郷」の話これとは違って、「いい子にしてたらサンタクロースがくる」のような賞与に関するものです。
基本的にベアトリーチェの話はタブーとセットなんですが、うまくすればご利益があるような話もあって、「黄金郷」の話の出所はここなんじゃないかという風にも考えられそうです。
つまり
「○○すれば黄金郷にいける」という素朴な信仰の物語が、元々碑文とは別の形で六軒島にあったんじゃないかってことです。
その話を作ったのは熊沢かもしれないし、別の誰かかもしれない。真里亞の本に署名したベアトリーチェかもしれない。
金蔵とその妻の世代が、子供たちに「いい子にしてたら黄金郷にいける」と教えたかもしれないし、親たちの世代が戦人たちの世代に教えたのかも。
あるいは紗音がベアトリーチェに対して敬意を持って仕事してた(EP2)のを考えると、使用人たちの間に伝わる話だったりとか。
各EPで語られる「黄金郷」に到達する条件は非常にシビアでエグいんですけど、元々はそうじゃなかったんじゃないか。真里亞の日記が黒く歪んでしまったように、黄金郷の物語もどこかで歪んでしまったのでは。
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嘉音の想像する黄金郷は真里亞の黄金郷に近いですね。