雛見沢研究メモ
ひぐらしのなく頃に・うみねこのなく頃にの考察・ニュース

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【うみねこ】 EP3の2周目完了 -人の世の罪・邪悪な魔女の役割etc.- 

 EP3完了。やはり「いい最終回だった!」という感のある終盤の盛り上がりがよかったです。思うに、これはこれでハッピーエンドだったんじゃなかろうか。ところがある要素がそれにストップをかけてしまった。それさえなければ本当にEP3で終わっててもおかしくない気がします。

 あとEP5をやっと入手しました。EP4も続いて再プレイしようかどうか悩んだんですが、先にEP5をやってしまうことにします。

これはこれでハッピーエンド


 戦人はベアトリーチェを魔女と認め、ベアトリーチェは良き魔女として改心し、みんなで黄金郷行き・・・およそこれでハッピーエンドなんじゃないかと思えます。
 ただ一点、この世でなくあの世でハッピーだってことだけが問題。もろもろの真相なんて、知ったところで得するのは後の世に残された人間とユーザーぐらいのものです。
 で、その後の世から不満たらたらの縁寿がやってきて、物言いが入って次回に続く。

ベアトリーチェの人格の矛盾?


◆残酷な殺人を純粋に楽しむ…悪意なし:秀吉がいうように幼稚さによる?
◆恋や愛をそしる…悪意あり:嫉妬心かな?
 無邪気に人を殺すベアトリーチェ自体に悪意の類が全くないかといえばそうではない。恋や愛をそしって相手を傷つける程度には「人の心」を察することもできる。にもかかわらず「命の大切さ」にだけは無頓着で、戦人がなぜ怒ったのかも理解できない。なぜ死を悲しむのかもよくわからない。
 1人のキャラとしては破綻してるような気がします。なぜこんなことに? これも「物語の融合による歪み」なのかもしれません。2種類以上のキャラクターを無理矢理1つのキャラにしたことで矛盾が生まれる。例えばこう
◆九羽鳥庵の少女…無垢。言い換えれば無知で幼稚
◆黒化真里亞によるベアトリーチェ像…悪意の塊。さくたろを殺されてるんだか死の悲しみを知らないということはない
 この二つの“悪いところ取り”でちぐはぐなキャラになったと考えてみる。

ロノウェ「お嬢様は、友達というものを持ったためしのない方です。それどころか、あれほど強く物を言われたことさえなかったでしょう」
 というところは九羽鳥庵の少女っぽい。真里亞は友達を持ったこともあれば、強く物をいわれたこともあります。

ベアト、殺人者役を降板


 意図したのか偶然なのか、エヴァが新しくベアトリーチェとしてゲーム盤世界での殺人者役を引き継ぐことで、ベアトはその役割を降りることができました。
 元々ベアトは「密室クイズ」で「自分が犯人だ!」と主張するキャラなので、そのままでは戦人の敵意の対象にしかならないはずです。ところが、殺人者としての役割を降りたことで、エヴァに敵対する「良き魔女」として振舞う機会が与えられました。
 これはベアトにとっても戦人にとっても、またとない変化のチャンスです。もしベアトが殺人者役のままだったら、真の無限の魔法に目覚めることもないかも。そして、戦人がベアトを「魔女」として認めることもないでしょう。

ゲーム盤世界の魔女


エヴァ「?別に誰の認可がなくとも魔法が使えますが、何か…?
ベアト「この世界ではな? しかしだな、それをあやつが認めない以上はその、うむむ、何と説明すれば良いのか…」
 と言葉を濁すベアト。これ、ベアトが分かってないわけじゃなく、説明できないんでしょうね。
 「お前は架空の世界でしか魔法が使えない、架空の存在だ」って言っちゃったら、それって思いっきりネタバレですから。「お前は偽者だ」ってことですからね。

 そのあと、ユーザーにはワルギリアがちゃんと説明してくれます。
ワル「あの子はすでに魔女かもしれない。もちろんあなたも魔女です。ゲーム盤の上の世界では。しかし、ゲーム盤の外の世界で魔女だと認められるには、ゲームの対戦者である戦人くんに認めてもらわなくてはならない」
 なんというか、力はともかく魔女のヒエラレルキーとしてエヴァは最下層かも。

殺人者役のジレンマ


ワル「戦人くんは、あなたを魔女だと絶対に認めないために、あなたのゲームに挑んだのです。?あなたは大きな間違いを最初から犯しているのです」「このゲームは、戦人くんを屈服させる拷問などではない。あなたが戦人くんに認めてもらうために努力する、試練なのです」
 密室クイズに殺人者役として登場する以上、戦人に憎まれるのが当たり前。エヴァがそれを引き受けてくれた今回は、良き魔女として振舞う絶好のチャンス。 
 殺人者役のまま認められるなんて、普通に考えれば絶対無理ですよねぇ・・・というか、戦人は屈服したって戻ってくるんですけどね(笑
 ワルギリアが言ってるのもそういうことだと思います。「密室クイズを手段にしてること自体が間違ってるじゃない。あんたバカねー」ってことです。

魔女の資格・戦人の説教垂れっぷり


戦人「?一生懸命に生きているヤツの人生を嘲笑うこと。これが一番、俺には許せねぇんだ」「殺すなら一思いに殺せ!弄ぶな!!?」
 ものすごい勢いで説教垂れる戦人くん。禁書目録の上○ちゃんを思い出しました。説教の内容はなんというか・・・「家畜を殺すにも倫理がある」という感じの内容。

 それはいいとして、魔女の資格について。やっぱりこのあたりがEP3で一番重要でしょうね。
戦人「無限の魔法なんてものが、どうしてあるんだ。それは何の為に?」
ワル「無限の魔法に限らず。魔法は全て、人の世に幸福をもたらすために存在するのです」
戦人「ベアト。お前は無限の魔女失格だな」
 つまるところ密室クイズに魔法を使ってる時点でアウト。これが後に幸福に繋がるってならアリかもしれませんが・・・

戦人「どうして俺がお前と、こんなおかしなゲームを延々と続けてるのかだ。?お前が、本当の意味で無限の魔女に認められるための試験ではないのか」
 何も考えて無いようで考えてる戦人。自分がなぜゲームをやってるのか。このゲームの意味はなんなのか。
 戦人はもうこの時点で、「魔女=邪悪」とは思ってないですよね。ベアトがそう見えるのは、ただの幼稚だと気付いてしまった。で、幼稚な魔女は大人の意見でも聞いて出直して来いと。

戦人「?お前が再び、俺の好敵手としてそこに座るのを、俺はずっとここで待っているぞ」
 そして最後にコレ。これが大事。つきはなしはしたけど、“見捨てたわけではない”ということを示している。楼座より親っぽいというか、父親的。

 思うに、本当の魔女ってのは、ワルギリアみたいに真里亞に飴を与えるような素朴な存在なんでしょう。現実には魔法は影響しないわけですから、ぱっと飴を取り出して真里亞に与える、熊沢のような人物が本当の魔女。たぶん。
 縁寿が真里亞にさくたろを蘇らせて見せたのも、それと同じ。実際は魔法でもなんでもなくて、飴を与えるのと同じように、(別の、ないし修理された)さくたろを与えただけ。
 平たくいえば、「人を幸せにする子供だましの手品」ってところ。

割れた壷と、九羽鳥庵の少女の対応


 紗音蘇生のあたりで、壷の話が混ざってきます。この壷の話は冒頭の幼いベアトリーチェとワルギリアの話なんですが、話の流れだけを読むと、楼座と九羽鳥庵の少女のエピソードと酷似しています。
【冒頭】
もちろんそれ(壷)は、お祖父さまにとってもっともお気に入りのコレクションのひとつ。
→金蔵が大事にしている九羽鳥庵の少女=ベアトリーチェ

でも、だから触れてみたかったのです。
→楼座の、少女に対する好奇心

だからこそ、私如きの指が触れたなら、それはあっさりと。消えて、落ちて、砕け散ってしまったのです。
→崖から落ちて死んでしまう。

【紗音蘇生シーン】
しかし、壷はあっさりと落ちて割れて粉々に。
?それくらいにあっさりと儚く、失われてしまった、命。
私は、自らの愚かな好奇心が取り返しのつかないことをしてしまったことを悟りました。
→こちらは壷の破壊を、「命が失われた」と表現してます。
 このシーンの意味として重要なのは、ベアトリーチェには楼座の人格的な部分も組み込まれてるかもしれないこと。あるいは、楼座でなくても、ベアトリーチェの過去に誰かの命を失わせた経験があるかもしれないこと。
 真里亞でもあり、九羽鳥庵の少女でもあり、紗音でもあるかもしれないし、楼座でもあるかもしれない。ベアトリーチェという存在がいよいよややこしくなってきましたね。

人の世の罪・死者の名誉


 全然話は変わりますが、後の世で六軒島の住人についてあれこれ邪推してる人間たちってのは、総じて死者の名誉を汚してるともいえます。EP2で、嘉音が犯人扱いされてるのを朱志香が嘆いてましたね。
 EP3では、生き残った絵羽がマスコミなどを通じて悪人扱いされていく過程が書かれてます。マスコミ=悪というより、そういうもんだからしょうがないって感じですけど。
 で、割と重要かもしれないことですが、ユーザーもそのマスコミと一緒なんです。
 ほとんどがただの事故かもしれない事件に対して、あいつが犯人だ、いやそいつが犯人だってのを延々やってる。これはどうなんだ?と「うみねこ」は問いかけてる感じがしますね。
 だからつまらない偽善のようだけども、実際の事件の真相と、ゲーム盤世界の出来事は切り離して考える方が、作品テーマには合致してるんだと思います。

 これは「ひぐらし」の祭囃し編の内容(ネタバレ)ですが、こういう考え方が記されてます。
罪を、受け入れよう。そして、みんなで赦そう。それが、古手梨花が見つけて至った、完成された世界。それは、……1人を敗者にしなくてはならない、人の世の罪からの解放。
 EP3での敗者はつまり「絵羽」です。

 そして「ひぐらし」の羽入はこうも言ってます。
我は人にあらず。角を持つは鬼の証。鬼の役目は人の世の災厄を背負うことよ。ならば我は、乱れし世の災厄を引き受け、人心の乱れをその身で祓うのがその使命。
 「うみねこ」の世界で人の世の罪を一身に背負った「邪悪な魔女」をやってるのはベアトリーチェですね。

 ここでEP2の真里亞の言葉が響いてきます。
真里亞「誰も悪くないの!戦人もママも悪くないの!!これは全部、魔女がやったんだもん!」
 この真里亞は「人の罪」を「魔女」に背負わせてます。
 こういうところから考えると、「うみねこ」でも「ひぐらし」の思想が受け継がれてるようですね。
 羽入の役割を、ベアトリーチェが引き継いでるような感じです。

 戦人や縁寿は事件の真相を暴こうとしてますが、それは邪悪を背負ったベアトリーチェを解体してしまうってこと。知らずに黄金郷にいければ、それはそれでいいはずのこと。知ってしまえば、誰か実在の人間が罪を背負うことになる。
 これを、「ひぐらし」では黒幕○○さんのように、雛見沢症候群のせいかもしれないという形で責めの矛先をずらしてます。

 犯人を暴こうとしてるけどそれでいいのか。魔女のせいってことにしといた方がいいんじゃないのか。どうせ死人が生き返るはずもなし。誰か身内を憎むことになるけど、それでいいのか。
 邪悪な魔女のイメージを守ることが、実は死者の名誉を守ることになるのではないか。・・・とまぁ、「うみねこ」でもこのあたりのテーマが物語に食い込んでくる可能性は充分ありそうな気がします。私があんまりコレ系の話をしてると電波っぽい気もしますが、元々ですね。

メタ戦人「そうさ、お前は悪趣味だ。残酷で心がなく、だから理解することができない」
 と戦人はベアトを切り捨てました。しかし、ベアトがなぜそういうキャラクターなのかを理解することが、ベアトの謎を解くことに繋がるんだと思います。

邪悪な魔女の役割・救われないベアトリーチェ


 ベアトリーチェは人の世の罪を背負って、邪悪な魔女として存在してるんじゃないかという話をしました。その自覚がベアトリーチェにあるかどうかは疑問ですが。
 そのベアトがせっかく「良き魔女」として目覚めたのに、EP3のラストでは再び「邪悪な魔女」としての役割を取り戻してしまいます。
 ベアトリーチェは自分が戦人を騙してたんだと言うわけですが、私はそんなわけがないと思います。これはほぼ断言できます。(間違ってても責任は持ちませんが)
 
 作品テーマとして重要な「愛」に触れて、良き魔女としての道を歩み始めたベアトリーチェが、なぜ再び邪悪な魔女にならなければならなかったのか。
 私はそれを、縁寿とベルンカステルのせいだと考えました。といっても彼女らが「悪い」と言うわけではないと思います。ただ欲張りなだけで。
 EP3は、それで終わっておけばそこそこのハッピーエンドなんだと思います。しかし、欲張るなら「縁寿が取り残されている」し「この世で幸せになったわけではない」ということになります。
 で、なぜ縁寿とベルンカステルのせいなのかというと・・・
 ベルンカステルはまず、ベアトリーチェが親の仇だと縁寿に吹き込んだ。これで縁寿にとってベアトリーチェ=邪悪な魔女に。そしてこの縁寿が1986年の世界にやってきた。
 これによって、EP3の物語の中で、良き魔女になったベアトリーチェの「物語」に、縁寿の「邪悪なベアトリーチェの物語」が融合してしまう。
 これまで何度か「物語の融合による歪み」について話してきたように、ここでも物語はリアルタイムで一気に歪んでしまう。
 
 簡単にいうと、EP2までの戦人のポジションに、縁寿が収まったわけです。
 この時点で戦人はもうベアトリーチェを良き魔女として認めているので、ベアトリーチェはもう「邪悪な魔女」としての役割を果たさなくてよくなった。ところが今度は縁寿がベアトリーチェを認めないと言い出した。これでフリダシに戻ってしまう。
 騙されていたと思った戦人は、再びベアトリーチェを拒絶。敵対することになります。
 人の世の罪を背負うのがベアトリーチェ。そこから解放されたと思ったとたん、また縁寿に背負わされる。抜け出せない無間地獄。

 またこうも考えられます。EP3でベアトリーチェの役割・・・殺人者役をやったのはエヴァでした。エヴァこそが邪悪な魔女の役割。
 しかしエヴァが消えたことで、再びベアトがその名と一緒に、邪悪な魔女の役割を取り戻した。
 
 ここでEP4の赤字。
早く私を殺してください

いっそ、
生まれたく
なかった

お願いです
どの結末で
私の物語に
私を殺して
(参考)魔女側の赤文字発言&拒否した内容と戦人が青字で発言した内容 : うみねこのなく頃に まとめWiki
 良き魔女としての道を歩み始め、戦人に認められたにも関わらず、再び苦悩の道を行くことになったベアトリーチェの悲痛な叫びではないか。
 「自分はどうあっても友人を持つことすらできないのか」という嘆き。
 「羽入」には背負えても、元ニンゲンのベアトリーチェには難しいのかも。なんかしんどい話ですね。

戦人の罪


 ここまでの話を踏まえて戦人の罪について再び考えると、やはりベアトリーチェに絡んだ何かだと思えてきます。
 私が考えたのはこう。「ベアトリーチェを邪悪な存在として決め付けたこと」が戦人の罪ではないか。
 例えばこんな感じ。
 六軒島の住人にとって、ベアトリーチェってのはそんなに悪いものじゃない。真里亞に対して譲治が「信じさせてあげよう」とした程度には、中立なファンタジーの存在。
 しかしここに誰かが、ベアトリーチェってのは邪悪なんだと吹き込んだらどうなるか。「魔女はいない」というのではなくて、「そいつは邪悪だ」という。
 この戦人の一言が、真里亞に影響して黒真里亞の下地を作ったとしたら。あるいは、ボトルメールに影響したとしたら。
 今のベアトリーチェが邪悪な存在として、殺人劇を繰り広げてるのは・・・戦人のせいだといえるかもしれません。
 「現実」の話ではありません。ゲーム盤の中で、ベアトリーチェが人を殺している理由です。
 RPG的にいえば、ロウかニュートラル属性の存在に悪魔合体して、カオス側に傾けるキッカケを作った感じ。

 ベアトリーチェは碑文にそって殺人してますが、碑文自体はベアトリーチェを邪悪な存在として扱ってないと思います。碑文の中のベアトリーチェは宝を与え、眠るだけの存在。
 真里亞とボトルメール。これが重要。
 

後見人ラムダ


ラムダ「私があんたの後見人を辞めれば、あんたはすぐにニンゲンに逆戻り」
 このあたりのラムダとベアトのやり取りを見てると、ベアトの正体…というか核になってる部分は、やはり九羽鳥庵の少女なんじゃないかと思えますね。
 ニンゲンだっていうんですよ、ラムダは。そしてみすぼらしい存在。仮初の名前以外に何も持たない少女。
 うーん・・・

 あとこんなのも。 
ベルン「?お茶菓子のクラッカーだけど、ジャムのレパートリー?たまにはコチジャンでも用意しなさい」
ベアト「そうか、わかったぞ。試してみよう」
 このあたり、ベアトの世間知らずっぷりが出てるというか。本気で言ってるのかどうかよくわかりませんけど。
 言われたことを何でも信じてしまいそうな、九羽鳥庵の少女のような危うさがあります。
 ベルンもそのあたりの事情を知っていて、からかってるようにも思えます。

そのほか細かいの


さくたろの伏線?

エヴァ「?ぬいぐるみのお腹を裂いたことって、ある?」
 さくたろが楼座に破壊される伏線? あるいは、それとの何らかのつながりを示唆してるのかも。
 エヴァが話しかけてるのはシエスタ姉妹≒真里亞の陶器人形だし、さくたろが破壊されたことは多分知ってる。

絵羽の更正?

 秀吉が「わしがまた更正させたる?」とエヴァに言うシーンがあるんですが、「また」ってことは過去に一度更正させたことがありそう。
 あの絵羽と結婚してらぶらぶになっちゃうぐらいですから、秀吉も相当苦労してそう。相当、お説教とかしたのかな。

エヴァと儀式

エヴァ「その面倒な儀式を終えないと、私の魔女としての力は完全なものにならないらしいの」
 これは「誰かが殺人を完遂しないと未来と辻褄が合わない」ってことだと思います。
 また儀式だけではダメ。5人生存しちゃいますからね。どうにかして全員殺さないといけない。

反魔法

ベアト「?存在自体が反魔法的なのだ。その結果、彼らはいつの間にか体内に、魔法を否定する毒素を有するようになった」
 「人前で魔法は使えない=現実世界では使えない(影響もしない)」というのと、「少人数の方が殺しやすい」というのを魔法的な設定として説明。うまいことできてる設定ですよねー・・・
クローズドサークルで?それを崩すのが殺人犯とミステリー作家の悩みなのだろうが、?魔女が、まったく同じ悩みを共有しているというのは、何とも滑稽な話だった。
 というのがありますが、「殺人しやすい状況」に対する「現実的解釈」と「魔法的解釈」だと考えれば滑稽ってことはないですね。

留弗夫と霧江が強いわけ

嘉音には、死に物狂いでも生き残り、人間になりたいという強い願いがあった。?だから、それが必然の結果になって現れる。その結果を示せるのが、人の力。心の力。
 いわゆる少年漫画的な精神力比べ。心が強いから留弗夫や霧江も強かった…と一応説明はできます。これはいいとして、面白いのは二人とも「自分が強い理由」をちゃんと「物語」として話してくれることです。

留弗夫「西部劇世代を舐めるんじゃねぇぜ?」
 留弗夫の場合は精神力というより、「西部劇世代だから銃の扱いが上手くて強い」という彼なりの自分に対する物語…というか理想を持ってるようです。

霧江「てめぇに男を寝取られて、18年間嫉妬し続ける女の狂気がわかるかよ…ッ!」
 霧江の場合は完全に精神力ですね。ある意味ただの不幸自慢。「自分は○○だからお前より強い!」という理由付けがなされます。
 彼ら自身の自分に関する「物語」が、一つの「設定」となってゲーム盤世界に影響してるという感じ。……何言ってるかよくわかりませんね。
 ちょっと気になるのは、霧江の精神力が七つの大罪である「嫉妬」由来であること。罪を清めなければ煉獄からは抜け出せません・・・
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