全部ただの想像。
関係ありませんが、「うみねこ」の議論をする時は単語を辞書登録すると便利っすよ。
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【うみねこ】 変換できない言葉は辞書登録![うみねこのなく頃に辞書登録用テキスト配布]以下ネタバレ
魔女犯人説
魔女さんたちがカワイソウだということ
どうも
「最悪な人間至上主義者共」のみなさん。こんばんわ。
第二話といえば、『ひぐらし』の第二話は出題編中最も難易度が低いことで有名ですが、『うみねこ』の第二話もとっても簡単でしたね!(大嘘)
鬼隠し編 ★★★
綿流し編 ★★
祟殺し編 ★★★★★
暇潰し編 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
さて、今回は前回の第一話の時とは違い、積極的に周囲の考察等を参考にさせていただくことにしました。
するとどういうわけか、嘉音ブレードや紗音シールドを「非現実」とするのが常識のようになっている風です。
これでは「お前らなんかウソさ!」といわれてしまった魔女さんも家具さんたちもなんだかカワイソウ!
存在ごとボロクソに否定されつくし、密室トリックもザル扱い。全く悲惨で無残です。
おそらくこのように解釈が偏っているのは、作品紹介の
一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。
つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。
といった文章によるものでしょう。
この文章を基盤にして考察していくと、魔法を否定しなければならなくなるということだと思います。
魔法を否定するのがカワイソウと表現するにはもう一つ突っ込んだ理由もあります。
それは、魔法的なものを前提にした物語までをも否定しかねないということ。
魔法的なものを前提にした右代宮の家具たちの苦悩、死に際の魔法的な脅威とそこで繰り広げられた魔法前提のストーリー。
そういったものが「なかったこと」や「なにか別のもの」に変わってしまうのはどうも惜しい気がするんです。
むしろ魔女に加担してみてはいかがかしら?
しかしゲームの遊び方も作品の捉え方も本来は自由なはず。
私は上の文章を、『ひぐらし』の初期に公式掲示板で作者が立てた「謎提示」スレと同様のものと考えています。
つまり
「初心者向けの歩行器」のようなもの。
どこに行っていいか、何をしていいか分からないから方向性を提示する。ただそれだけのものだろうということです。
『ひぐらし』では「人間犯人説」と「祟り説」が存在し、どちらも最後まで消えることはありませんでした。
「人か祟りか偶然か」 ……前回三つあったものが、今回は一つ「人」しかありません。(ちなみに『ひぐらし』の答えは
「全部」ですね)
これではいかにも想像の幅が狭いので、私は一人で好き勝手することにしました。
魔女と魔女の戦いの物語
作品紹介文には
「魔女と人間の戦いの物語」という表現があります。
しかし、裏お茶会までご覧になったみなさんは、もう一つの戦いがあることを当然ご存知のはず。
それは
「魔女と魔女の戦いの物語」です。
第二話では「ベルンカステルvsベアトリーチェ(+ラムダデルタ)」という構図になっている、アレです。(実際にはベルンカステルvsベアトリーチェvsラムダデルタという感じですが)
なので、人間側ではなく魔女側に加担して勝てる可能性もあります。
要するにベルンカステルに肩入れしてベアトリーチェを倒せばいいわけで。
人間にこだわらなくてもいいんじゃないの?ってことです。
負けないための戦いと勝つための戦い
私が期待するのは、正解に至る推理が現れることじゃない。
一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、“犯人人間説”を維持できるのか。
これは戦人がやっているゲームと同じもの。
維持できれば負けはありませんが、別に勝ちもありません。ベアトリーチェが根負けすれば勝てますが、他にも方法が二つ提示されています。
一つは「碑文の謎解き」……これが成功すれば勝てるようです。
もう一つは「ルール暴き」……これが成功すれば、魔女を殺害することができるようです。
あの子を倒すには、この世界のルールを暴き、それを解きほぐさなければならない。
それは例えるなら、ルールを知らないチェスを、観戦しながら学んでいくようなもの。
まずはチェス盤を見渡しなさい。
そして駒の動きと役割に気付きなさい。
そしてあの子のゲームの勝利条件を探りなさい。
それらが暴けた時、そこにあの子の心臓が曝け出される。
後は引き裂くも握り潰すも思いのまま。
「人間犯人説の維持」は『うみねこ』という作品の中にあるゲームの一つでしかありません。 ゲームは他にもあります。
そして、ゲームに参加せずにゲームに勝つことはできません。
複数のゲームを同時進行してるのが『うみねこ』なので、一つだけやってるのは勿体無いですね。
しかし、別に勝たなくていい人は参加しなくていいですし、勝敗とかどうでもいい人は好きにすればいいわけです。自分の都合のいいようにすればいいわけで。
不確定世界
シュレディンガーの猫
世界観の捉え方については、
うみねこのなく頃に エピソード2 - BWSのダイアリーと
真偽不明の解答考察 - うみねこのなく頃に まとめWikiで勉強させてもらった「シュレディンガーの猫説」が私の考えてることに一番近いというかほとんどそのものです。
中がどうなってるか分からない。だからどうとでもいえる。観測するまで確定しない。
これが
「密室」と「島そのもの」の両方について言える状態である、というのが
とりあえずの捉え方として都合がいいので、私もこういう風に考えることにしています。
魔法や魔女については、
存在するともしないともわからないというのが論理的な答えで、「存在しない」とするのも「存在する」とするのも厳密な意味では間違い。
「存在しない」とするなら、それを証明しなければなりませんが、そんなことはできません。
しばしば言われる例では、「幽霊が実在するというのもしないというのも非科学的だ」というのとほぼ同じ意味です。どちらも同様に非論理的なんですね。
『うみねこ』の作品紹介文から「魔女は存在しない」と類推するのは自由ですが、これは作中においてすら何の証拠にもなりません。
「存在しない」と認識するニンゲンがいなくなってしまったとき、「存在する」ことを否定する者がいなくなり、「事実」と区別することができなくなり、残ったベアトリーチェたちによって「事実」として確定されてしまうだけだと思います。
また、
戦人の「魔女はいない」というのも理屈の上では正しくありません。 「どちらかわからない」というのが正しい。戦人も偏ってるんで、戦人に感化されると理屈が狂います。
確定していた部屋の中の出来事が再び不確定になるとき
私は「魔法」の存在を否定しません。
例えば第二話で譲治たちが殺された時のことですが、
「あの時あの場所では確かにあれが現実だった」というのが私の解釈です。
あの場にいる人間+魔女たちによって、あの場所で起こっていた現象は「事実」として観測・認識されていて、確かにあの場所では事実だったのだというのが私の考え。
ところが、あの場所にいたニンゲンが全員死に、あの部屋の中に誰もいなくなると……
「あの部屋の中の出来事が現実だったと認識するニンゲン」がいなくなってしまい、「結果的に何が現実だったのか分からなくなってしまう」わけです。
知っているのはベアトリーチェただ一人。これでは「ベアトリーチェの妄想なのか現実だったのか分からない」というわけ。
ベアトリーチェの存在そのものが不確定事項のようなので、これでは信用できませんね。
(戦人たちの存在まで不確定だとするとキリがありませんが、考えられないことではありません)
人間犯人説の維持
この状態を利用して行われているのが
「人間犯人説の維持」という、戦人とベアトリーチェが行っているゲームです。
「結果として密室殺人の状態になっている部屋の中で起こったことが魔法によるものか人間によるものか」を理屈だけで言い合い、言い負かしたら勝ちというアレです。
「言い負かせたら勝ち」なんですが、実際には部屋の中で何が起こっていたのか分からないのでどうとでも言えてしまい、理屈の上では負けることはありません。
この状態での均衡を破るためにベアトリーチェが今回持ち出したのが
「赤文字」 この赤文字は「実際には事実かどうか確認しようの無いことを事実として確定する」という(どう見ても)魔法です。
しかしこの赤文字も、「隙」がなければゲームになりえないため、ゲームである以上は「完全なもの」ではありません。
つまり赤文字で「理論上この部屋は密室である」と宣言することはできません。
この状態でハッタリをきかせたベアトリーチェの追い込みによって、想像力の上を行かれた戦人が屈服するというのが今回の結末でした(あとで復活したが理屈で逆転するシーンはない)。
戦人含めニンゲン全てが屈服してしまえば魔女や魔法を否定する人間がいなくなり、後はベアトリーチェのやりたい放題というのがこの作品の世界観でしょう。
ニンゲンが抵抗しつづける限り「ニンゲンのルール」が完全に消えてしまうことはないから、魔女はニンゲンに抵抗されると都合が悪いんでしょうね。 「ニンゲンがどうにかして“結果”(過程は無理)を再現可能な範囲でしか魔法を使えない」とかそういうルールがあるとでも考えるとてっとりばやいです。
いわば「魔女と人間の綱引き」です。
綱の中心点がある境界を越えない限りは勝負がつかず、超えてしまえばオシマイ。
ただ魔女にはゲームのリプレイチャンスが無限にあるのでニンゲンには勝てない。
黄金郷
紗音によれば黄金郷とは願いがナンデモ叶う場所だそうですが、願いがナンデモ叶うというのは、精神と世界が直結した世界だと考えてもいいでしょう。
つまりは空想が現実であり、虚構が現実である世界です。
こんなものは恐らく“魔法でも実現不可能”でしょうから、碑文の「黄金郷」とは「似たような別物」だと考えるのが妥当でしょう。
精々、脳みそを取り出して快楽を与え続ける「快楽機械」の類似品です。本人には現実との区別がつかないので、本人にとって「黄金郷」との違いはありません(外から見るとオカシイですが)
恐らくベアトリーチェにとっての「黄金郷」というのも別ものです。
これがベアトリーチェの目指すものであるとすると、彼女の行動から推測するに、「魔法を肯定するニンゲンしかいない世界」というのが「ベアトリーチェの黄金郷」なのでしょう。
そもそもベアトリーチェが黄金郷を目指しているのかどうかすら怪しいですが、儀式を実行すれば自動的に辿り付いてしまうようなので。
虚構側と現実側
キャラクターの大別
キャラクターを「虚構側」と「現実側」でなんとなく大別することができます。
あと適当にレベルを分けてもいいかも。適当です適当。適当なので好きに解釈してください。
◆現実側
Lv.9:戦人……負けはするが復活する。
Lv.8:楼座……第二話では戦人敗北後も残った最後の砦。しかし礼拝堂の会合であっさり魔女を信じている。
Lv.7:譲治・朱志香……基本的に信じないが、実際に見ると否定しないようだ(死亡前)
Lv.6:霧江……親たちの中ではかなり強く抵抗する方だが、礼拝堂の会合では信じてしまった。
Lv.5:絵羽・秀吉・留弗夫……積極的に信じたりしないが、礼拝堂ではさっさと負けた。
Lv.4蔵臼・夏妃:……蔵臼は黄金の幻想を追いかけているが、魔法を信じている訳ではない。でも夢見がち。 夏妃は霊鏡を大事にしてたりお守りを飾ったり結構迷信深い。あと家が神職。
郷田:微妙
南條:不明
◆虚構側
Lv.9:ベアトリーチェ・ベルンカステル・ラムダデルタ……虚構の親玉
Lv.8:七杭……なんか強いし
Lv.7:山羊頭……物理的手段で対抗可能。アメリカ映画的な「殴れるホラー」って感じ。あと物質透過できないっぽい(第二話夏妃部屋ドア)。つまり半分現実・半分虚構みたいな。
Lv.6:金蔵……儀式をはじめたのはこの人っぽいし。基本は人間。
Lv.5:源次>紗音>嘉音……金蔵の家具。紗音バリアとか嘉音ブレードとか。基本的に自分たちが非現実的な存在であることを疑ってない。人間っぽいけど実際どうだかわかんね。
Lv.4:真里亞……基本的に黄金郷を求める側なんですが、なぜか碑文を解こうともする中間的存在。
熊沢:不明。地元のオカルト方面に強そうなのでこっち。適当。
キャラクターの心変わりと駒の取り合い
作品中、現実側と虚構側が、駒の取り合いをしてる風に見えます。
といっても基本的にベアトリーチェが現実側の駒を洗脳しつくそうとしてるだけなんですが。
今回、現実側の全てのキャラクターが虚構側に転びました。
最終的に楼座と戦人が時間差で現実側に留まったため完全敗北は免れたようですが、全キャラが同時に虚構側に転ぶと負けのようです。危ないところでしたね。
虚構側でしかできない戦い
現実側で戦ってるのは基本的に戦人です。
逆に虚構側でしかできない戦いというのもあります。
一つは真里亞がやってる碑文解き。これは戦人が最後までルールとして納得できなかったように、非現実的な戦いです。「碑文を解けば殺人が終わる」というルールを受け容れなければ取り組むのは難しいでしょう。
もう一つが紗音や嘉音のように、ベアトリーチェの手先と直接魔法的な戦いをすること。
今回はこちら側の戦いで今後有効となりうる手段が提示されました。
「夏妃の霊鏡」と「クモの巣」、それから「紗音や嘉音の能力」です。
第一話の「真里亞のお守り」や「書斎の結界」とあわせて、複数の「ベアトリーチェへの対抗手段」が存在することが分かっています。
これだけのものがあれば、時間を稼いでしばらく生き残ることぐらいはできるかもしれませんし、ベアトリーチェの手駒を削ることも出来るかもしれません。
この戦いは「魔法」が前提なので、「魔法側で戦うことのできない戦人=魔法を認められない戦人」は基本的には参加できないはず。
ただ「人間犯人説」にこだわり魔法の存在を否定する側であっても、第二話の譲治のように「精神的な儀式」として形だけ行うことはできるかもしれません。
とにかく迷信やオカルトの類の論理を前提にして行動することができなければ、できない戦いです。 戦人がやってる「人間犯人説の維持」による碑文を解くまでの時間稼ぎ程度には、意味のある戦いになるでしょう。多分。
あるいは「夏妃の霊鏡」の本来の力を解放しても何の意味もないかもしれませんが、まだ分からない先の話です。
少なくとも第一話第一の晩の夏妃生存が魔法的なものによるなら、
儀式の流れを変えるぐらいはできるでしょう。
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