今回は要するに
作者と作品を無条件に信用しすぎて、シナリオの矛盾点(実際にはただのミス)を“謎”としてとらえると、ドツボにハマるので気をつけましょう という話だけのお話です。
それは「謎」ではなく、作品の「問題点」
暴走していく考察は、制御しなくてはならないのです。
しかしそれが難しいこともある。そんな話の一例です。
ドツボの世界への入り口
概要
綿流し祭の際、おもちゃ屋で会っていたはずの赤坂と再開した部員たちは、なぜか赤坂のことを忘却している(ように見える)
これは、割と有名な「原作皆殺し編」の問題点に関するお話。これを問題にするかしないか、したとして、ミスなのか狙いなのか意見が分かれました。
ところがこの部分、PS2版ではあっさり
修正されていたのです。
つまり、これは意味のない部分で、謎でも何でもなかったということなんでしょう。ただの文章のミス。
ここで悪夢は終わったのです。
PS2版では綿・目編など詩音関連で、分岐シナリオの合流後に話が繋がらない場面が出てきます。
なかったはずのイベントが、あったことになっていたり。
そういったものは一見して「ミス」と分かります。
しかし、中にはただのミスなのかそうでないのか、区別するのが困難なものもあるわけです。
そんな時、真剣に考えすぎるとどこに行ってしまうのか。
以下、ドツボの世界へご案内いたします。
PS2版での修正箇所
具体的に「原作皆殺し編」と「PS2版皆殺し編」の該当箇所がどう違うのか書き出します。
共に綿流し祭で赤坂と再開するシーン。
◆「原作皆殺し編」
レナ:「はぅ、梨花ちゃんが知らないお兄さんと一緒だ。知り合いかな、かな!」
魅音:「何よ?どちら様?どちら様?!おじさんたちにも紹介してよ?!!」
◆「PS2版皆殺し編」
レナ:「はぅ、その人って、おもちゃ屋さんで会った人だよね?よね?」
魅音:「あ?、そういえば大石さんと一緒にいたね」
「この人も警察の関係者さん??」
赤坂のことを覚えていることがハッキリ分かるのがPS2版。
赤坂のことを覚えていることが全く確認できないのが原作です。
明らかに修正されているのが分かります。
「問題」だと感じますか?
まずこのことが、個人によっては「問題」として感じられないこともあるということを、踏まえておかなければなりません。
「一度会っただけの赤坂のことを忘れていても不思議でもなんでもない」と感じる人もいないわけではないようです。
その場合は、特にミスとして認識されないまま、普通にスルーできるポイントになるでしょう。
私は以前、この問題についての議論を交わしたことがありました。
論点はそのまま「そもそもこの部分を問題にするのかしないのか」というあたりです。
当たり前といえば当たり前ですが、決着はつきませんでした。
(参考)
【名も無きスレ】Page:15記事No45816以降
今回はこれを一方的に「問題」として扱いますので、注意してください。ミスなのかそうでないのか、区別できない
問題ならば、作者が意図したものなのか、意図しないものなのかによって大きく扱いが違います。
ただのミスだとして扱うならそれで終わり。
しかし何か意味のあることなのだ……として考えると、
そこに「謎」が生まれます。 これが悲劇的で罪深いのは、こういった「問題点」と「謎」は、
基本的に区別をつけることができないという性質を持っていることです。
「問題文」に問題があるなら、その責任の向かう所は言うまでもありません。しかし責めるばかりでもいられません。人間なんだからミスもあるでしょう。
区別するために必要なのは、
◆制作者側の言及、ないし修正
◆明らかに意味が通らない文章であること
◆明らかに設定と矛盾していること
といった要素でしょう。
しかし、このケースではそのいずれもが当てはまりませんでした。
制作者側による言及も修正もない。
文章として意味が通らない訳でもない。
ループや記憶・認識の齟齬といった問題が存在・想定される作品なので、明らかに設定と矛盾しているとも言えない。
判断を誤るには充分な条件が揃っています。
それはすべて徒労
この部分がただのミスとして修正されたことで、「考えるだけ無駄」だったことが分かりました。
「推理されて来た方が全て徒労だったとは思いません」とは作者の言葉ですが、そこには実際に
多くの徒労があったことを否定することはできないでしょう。
ミスが謎を生むという現象は、「謎」を主眼にした物語が背負った業なのかもしれません。
このミスをも含めて「楽しさ」と感じられるならいいのですが、これが「考察モノ」としての問題点であることに違いはありません。
暴走した考察の例
祭の日は世界の断層
◆「赤坂が圭一たちを忘れている」→「圭一たちが別世界に移動したのでは?」
◆「祟殺し編でも似たようなエピソードがあったぞ!しかも綿流し当日だった!」
続いて、「赤坂忘却問題」を「謎」としてとらえた場合の、実際の考察の一例です。
祟殺し編には「アリバイ作り」だと思われるシーンがあるのはご存知の通りです。
その前後のシーンは、まるで別の世界に迷い込んだような体験として描かれています。
その体験を文章どおりに解釈すれば、この皆殺し編においても、
「圭一が別の世界に移動した」と考える人が出てくるのは必然でしょう。
そして実際に「会っているはずの赤坂を誰も覚えていない」という部分を根拠に、そのように考えた人がいました。
つまり、祟殺し編では、「圭一が鉄平を殺した世界」から「圭一が祭に出ていた世界」に移動したと解釈し、
同様に皆殺し編では、「部員がおもちゃ屋で赤坂に会った世界」から「部員が祭り以前に赤坂と会っていない世界」に移動したと解釈するわけです。
そしてここから、
罪編で祟編の解答らしき「アリバイ作り」という解釈が与えられたが、実は圭一は本当に「別の世界」に移動していたのかもしれない……という話へと発展していきます。
なんてSF!と思われる方もいるでしょうが、
皆殺し編はあの「羽入」が登場した編です。
梨花や羽入がループする世界の中にいたことが分かった編で、いまさら並行世界や時空の混乱ぐらい、別に何の不思議もありません。
そして、さらにタチが悪いことに、祟編・皆編共に、「世界」が切り替わるタイミングが、
「綿流し祭当日」なんです。
「祭の日」を境に「別の世界」へと移動する。
ありそうな話ではないですか。
またこの物語自体が「解答編」なので、この部分を「出題編の解答」と見てしまうことも無理のないことでしょう。
こうなると、ひたすらドツボです。
羽入が記憶操作/羽入黒幕説
「羽入黒幕説」→「羽入が都合の悪い赤坂の記憶を消した?」
さらに別の解釈の例を。
羽入が梨花たちの問題の解決にあまり乗り気ではなかったことは、知られていることです。
ひたすら、梨花と閉塞した世界をグルグルしていたがっている部分がありました。
そこから、実は羽入が世界やキャラを操って事件を起こしている黒幕なのではないか……という
「羽入黒幕説」が生まれました。
また、罪編で圭一が他世界の記憶を継承したように、作中には「記憶」に関係した超能力?が存在しそうな気配があります。
これらを組み合わせて、
「羽入が梨花たちを妨害するために記憶を操作している」 というストーリーができてしまう。
(梨花たちに有利な)「圭一の記憶継承」を許してしまったのは、羽入のミス……ってことにでもすればいいんでしょう。
この解釈では、羽入が赤坂に関する記憶を部員たちから消してしまうことで、事態の好転を妨害したのではないか……などと考えます。
悪魔羽入が大暴れってところでしょうか。
悪夢
もし作者や作品を妄信してしまっていて、その上で様々な考察を進めているユーザーがいたとしたら……
該当箇所がただのミスだと分かった時、それまでのことはさながら
「悪夢」といったところでしょう。
そのほかの「文章のミス」に関して
詩音のノート
【目明し編】
TIPS「ノートの199ページ」で、「昭和58年」だったはずの詩音の日記の日付が「昭和57年」になっていた
「赤坂忘却問題」以外にもこういった問題はあります。
たとえば
「詩音のノートの日付問題」は有名ですね。
推理・考察関係の古参は大抵誰でも知ってるでしょう。
でも新しいユーザーさんはほとんど誰も知らないんじゃないかと思います。
これはTIPS「ノートの199ページ」で、「昭和58年」だったはずの詩音の日記の日付が「昭和57年」になっていたという問題です。
このTIPSは終盤のものですので、まさにこれは“どんでんがえし”として機能しました。
例えるなら罪編後のTIPS「悪魔の脚本」と同じようなもの。
昭和58年だと思っていたものが、実は57年だった!なんてことだ! そうして色々な議論がなされました。
当然ハナからただのミスだと考えている人もいましたが、そうでない人がいなかったわけではありません。
しかしこの問題は、
パッチによって、ユーザーに何も知らされることなく、「58年」と修正され、それが判明して終結しました。
解けるはずもない問題
こういった
「ミスが生む謎」の存在は、『ひぐらし』を考える上で常に意識しておかなければならないところです。
“解けるようにできている”甘口パズルをお好みの方はどうぞお引取りを。
『うみねこのなく頃に』は、皆さんに“解かせる気が毛頭ない”最悪な物語です。
(『うみねこ』作品紹介より)
問題文が間違っていれば正しい答えなど出るはずもありません。間違った答えが出るだけです。・問題文の問題点を長い間修正しない(「赤坂忘却問題」は原作では放置)
・問題文の間違いをユーザーに知らせずに修正する(「詩音のノートの日付問題」)
こういうことがあると、「解かせる気は毛頭ない」というのも、ある意味うなづけてしまうというものでしょう。
だからこそ挑みたくなる最悪な皆さんの、なんと付き合いのいいことでしょうか。
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